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さつろう
看護師ライター
1988年5月18日沖縄県生まれ。看護師歴11年。精神科をメインに内科・整形外科・外科などで経験を積む。趣味は読書と美術鑑賞。一時期フードコーディネーターや舞台ダンサーでした。

悲しみに不要なオプション

その日はクリニック勤務。

コロナワクチンの接種が始まり、残業をして帰宅した。

「20時過ぎに帰ります」という報告LINEにスタンプで返事をしたとき、ふと思った。

ビジネスマンの主人にも見てもらおう、と。

看護師とは別に、ライターとして仕事をしている私。自分が綴った文章を、他人の視点で評価をしてほしい衝動に駆られた。


予告通りの時間に、コンビニの袋を持った主人が帰ってきた。見てほしいものがあると、ノートパソコン越しに例の文章を見せる。

ボロクソに評された。

「まあ、そんなもんだよね」と意見を踏まえて修正、加筆。主人が静かになっていた。

「これは怒っているな」とノートパソコンをテーブルの端に寄せて、台所に向かう。メニューは決めていた。焼き魚だ。

頂き物の塩鮭とサバの西京焼きを、クッキングシートを敷いたフライパンにのせる。蓋をして弱火で加熱。火が通るまで、10分もかからない。

その間に油揚げとわかめの入っただし汁を温め、味噌を溶かす。冷凍ご飯はレンジにお任せ。その間、主人は一言も発さない。

「怒っている?」と聞いてみた。

先月、怒っていないと言いながらしかめっ面で無言なのはイラつくから、ちゃんと理由を言ってほしいと言ったことを覚えていたようだ。

「怒っていると言うか…怒っている」

飲み会を断って早めに帰宅したのに夕食がまだなこと、洗濯物が畳まれていないこと、それなのに長い文章を見せられたこと。無言の原因を強い口調で言われる。ああ、疲れている人に失礼なことをしたなと思いながら、「あんなことがあった後なのに」という言葉に反応した。

あんなこととは、息を引き取った祖母のことだ。


危篤状態だと知っていたが、東京に住む孫の面会は世間が許さなかった。

家族からの連絡に淡々と対応し、深夜に泣いていた私を無言で抱きしめた人は、今は私に対する不満を抱えている。仕事の疲れと空腹に加え、汚れた我が家。感情的になる要素ばかりだ。

悲しいことがあると、予定を詰め込む癖が悪い方向に効いたなと思った。

朝は筋トレで体を動かし、夜はパソコン作業に集中して夕食を作らない妻。洗濯物や読みかけの本にチラシが散らばる部屋で、いつも通りの日常を過ごす姿。怒るのも仕方ない。

私は泣いた。申し訳ないな、という気持ちよりも、驚愕と悲しい気持ちが強かった。

昨日の落ち込み具合を見ていたのならば、どうして怒りをぶつけるのか。家事に取り組めていない理由を聞かずにただ責めるのはなぜか。悲しさを紛らわす行動に夢中になっていることに何で気がつかないのか。

涙の理由を話そうとしたら、今日は眠いと断られた。明日の話し合いを希望した彼はお風呂から上がった後、スマホをずっといじっている。

「起きていられるじゃん」と冷静になった私は、ソファーで夜が明けるのを待った。メイクを落とさず、着替えをせず。


翌日はいつもの習慣を変えた。

自分事から家事を優先にし、キッチンの食器を戻すところからスタートした。リビングテーブルをクロスで拭き、窓と洗面台の鏡を透明感が出るまで磨いた。もちろん、洗顔と着替えは済んでいない。

主人が起きてきたので、パジャマを脱いでもらい、洗濯機を回して掃除機をかける。フローリングシートで床全体を拭きまわった。

 掃除がひと段落したらゴミをまとめ、スーパーに出かける。昼食はじゃがいもとひき肉のチーズ煮込み。ベランダで育成中のローズマリーを10㎝ほどハサミで刈り取り、新鮮な緑の香りを指に感じながら、鍋に放り込む。

ご飯は12時に炊きあがるよう、セットした。輪切りのきゅうりと角切りトマトにツナ缶を和え、塩を少々ふる。しょっぱいサラダが完成した。

この日も主人は無言だった。


洗濯物を干そうとする彼からカゴを取り、私の仕事を奪わないで頂戴と作業を続けた。

そもそも、独身時代は一人で家事も仕事もやってきた。笑顔でいてくれればいいとプロポーズをしてきた彼だが、私が笑顔になればなるほど、肩の力を抜いて生きるほど、衝突する時間は確実に増えた。

きっとこれは、私の甘えが原因だ。

親しき中にも礼儀あり。独身時代のように、自立して家事ができるよう、勘を取り戻すトレーニングが必要だと昨晩、結論付けたのだ。

トレーニング中、彼は寝室に閉じこもっていた。

昼食時間に声をかけても出てこなかったので、一人でチーズ煮込みを食べ、ソファーで30分ほど横になる。体と頭の重さを感じた。昨日のクリニックは忙しかったし、ソファーで寝ていたもんなとひとり目を閉じる。

14時半過ぎに寝室のドアを開けた。

私はいつものクリニックに向かう。「せっかくきれいにしたリビングだから、そこで過ごしてほしい」と一言添えてみたが、反応はなかった。


6月にしては暑い日だった。

老夫婦に追い越され、脇汗を気にしながら、クーラーの効いたクリニックに到着。いつものように股を広げて診察開始。卵の成長がゆっくりですねと言われ、排卵誘発剤を左腕に投与した。

帰宅後、ソファーで休む彼を視界の隅で確認しながら、本日買い物と受診でかかった金額を家計簿に記す。ベットで少し休んでいたら、20時半を超えていた。真っ暗な部屋で彼が入ってくる気配を感じたため、思わず目を閉じた。

頭を撫でられた。

久しぶりの彼の体温。いつもの優しい温度に耐えきれなくなり、鼻をすすった。


結局、溜まった家事は休日に二人でやることにした。キャパ越えをしている時は無理をしなくていいこと、声に出すことを共有した。

悲しみの中にいる時、怒りをぶつけられることは苦痛だ。

あの日の私はひとり家事をする選択をし、話し合いと悲しみの苦痛から逃げていた。

これからは、いい年をした大人同士、お互いに協力して居心地のよい環境を作っていきたいと、あの日彼が買ってきたコンビニスイーツを食べながら思ったのであった。

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この記事を書いた人

mihasi 看護師ライター

1988年5月18日沖縄県生まれ。看護師ライター。趣味は読書と美術鑑賞だけれど、一番好きな時間はソファーで気の向くまま動画を観ることだったりします。

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